白い矢伝説

【貴船社】

白い矢のイメージ

貴船社は1662年に創建されたもので、五穀豊穣祈願のため水の神さまを祀っています。 もともとはこのあたりの地名にもなった、白い矢の伝説の残る矢白神社でした。ある夏のことこの土地はは干ばつに見舞われました。 田はひび割れ溜池の水も干上がってしまい、村の人々は雨乞いをしましたが雨が降る気配は全くなく、困っていました。 そんな状態が1ヶ月ほど続いた頃、武内宿弥という有名な大将がこのあたりを通りました。 宿弥は事情を聞くと、背中のうつぼから白い矢を抜き取り村人に渡しました。 これは珍しい白鷹の矢で、その矢をご神体として水神さまを祀ると水神さまが水を授けてくれる、と村人に告げたそうです。 早速村人たちは丘の上に祠を建てて矢を祀ると、たちまち清流が湧き出してあたり一帯が潤ったとのことです。 村人たちはその祠を矢白神社と呼び、村の名もヤシロ村となったとのことです。 このあたりには農耕の水にまつわるエピソードがいくつも残されているようです。

【貴船神社】

名古屋市の貴船神社は丘の上に神蔵寺と並んであります。 この貴船神社も雨の神さまを祀ったもので、江戸時代初期に創建されたと伝えられています。 神蔵寺は柴田勝重によって1501年に創建されたもので、元々はここに勝重の居城である一色城があり、本堂の横には勝重のお墓が残されています。

【明徳寺】

このお寺は下社城址にあり、「下社城址」「柴田勝家公誕生地」の石碑が建てられていて、石垣の高さもあります。 柴田勝家は1530年にこの地で生まれた安土桃山時代の武将で、とても勇猛であったと伝えられています。 織田信秀の死後、後継ぎの信長に対する謀反に加担して失敗したものの、後に許されて信長の重臣となります。 信長の命により近江長光寺城を守っていた際に佐々木承禎に攻められますが、その時勝家は飲料用の水がめを割り兵士の士気を鼓舞し勝利を得ています。 それ以来勝家は瓶割り柴田と呼ばれるようになりました。